米国留学で衝撃を受けた20代、副業など「二足の草鞋」の30代へ
ー長浜さんが非営利セクターにご関心を持たれたきっかけから、お聞かせいただけますか?
1990年代と30年近く前に遡ってしまうのですが、20代の頃、アメリカの大学院に留学していた時のことでした。
新卒ではNTTという超巨大企業に就職したのですが、働く意義を見失ってしまい、3年も経たずに会社を辞めてしまったんです。
元々は公務員を志望していたのもあって、どうせなら後々国際社会にも通じる「国際関係学を学び直そう」とピッツバーグ大学院に入学。
夏休みに行ったインターン先で大きな衝撃を受けたのが、きっかけでした。
その団体は、地域コミュニティと地域外(海外含む)からの訪問者をコーディネートする役割を担っていました。
その成果として新規事業が立ち上がり、地域に経済価値を創出することを目指すNPO法人でしたが、その団体には「ファンドレイザー」という聞き慣れない職業があったんですね。
ー「ファンドレイザー」とは何でしょう?
活動のための資金を集める専門職で、企業では「営業」や「マーケティング」にあたります。
地元の大手企業に寄付や協賛の提案をして、1万ドル(約100万円)を超えるような案件もバンバン取ってくる。
アメリカでは、NPOが社会のなかで地位が確立されており、“ボランティア”ではなく“仕事”として認められていたんですね。
「社会的な課題を解決する」というビジョンを持って働く人たちは、自信を持ち、凛としているように見えました。
留学した翌年の1998年はちょうど日本でもNPO法(特定非営利活動促進法)という法律が施行されたタイミング。
「私もいつかNPOで働きたい。日本でも、NPOをもっと盛り上げたい。」
そう思うようになりました。
ーそんな体験がありつつも、日本に戻ってからは普通の企業に勤めたとお伺いしました。なぜでしょう?
NPOでやっていこうと長期的には決めたのですが、「NPOでどんな価値を出せるのか?」当時は全く見当がつかなかったのです。
身につけるべきスキルや将来のキャリアを模索するなかで、たどり着いたのがマーケティングでした。
日本のNPOにおいても今後、寄付やボランティアなどを獲得するスキルが求められるようになるはず。
だから、「マーケティングをとことん学び、実践できる環境に身を置こう」と決意しました。
でも、当時の日本でマーケティングを本格的にしているNPOは見つからなかった。
「それなら、企業で朝から晩までマーケティングの仕事をして、実務経験をとことん積んで腕を磨くのが良いのでは」と。
帰国時の私は、31歳。
「40代に、NPOというフィールドで活躍できる人間になろう。そのために30代の10年間は修行をしよう」と心に決めました。
おかげで富士通に入社してから30代前半は、“終電帰り”も当たり前だったくらい、どっぷり仕事漬けの毎日になってしまいました。
ー修行中には、どのようにNPOに関わっていたのでしょうか?
富士通に勤めて6,7年経った頃、自分に約束していた40歳が生々しく目前に迫っている感じがあったんですね。
マーケティング実務も一通り身につけたので、「本格的に何か動き出さなければ…」と。
仕事も落ち着いてきたので、「情報を発信すること」と「ボランティアでも経験を積むこと」の2つを自分自身に宣言しました。
アメリカのNPO業界の最新情報を日本語で発信する、「飛耳鳥目」というブログを当時書いていたのですが、そのブログがたくさんのNPOセクターの方に見てもらえるようになりました。
ブログを読んだNPOの方から相談をいただき、週末や定時後に講演や研修に招かれたりと忙しくなってきました。
この分野が珍しかったのもあり、「NPOのためのマーケティング講座」という本も出版させてもらいました。
ーそこまで本格的に活動されていたら、本業も大変ですね・・
いえ、そうでもなかったんです。
プロボノや副業は20〜30代の方にもぜひお勧めしたいのですが、なぜかというと本業にもプラスになったからなんですね。
仕事で培った能力を、仕事以外でも磨く良い機会でしたし、会社の看板や職場での関係性が通用しない、「他流試合」の経験も積めました。
そしてプロボノをする時間を捻出するために時間の使い方も効率的になり、集中力も高まりました。
今につながるご縁ももらい、独立してからのネットワーキングにも。
そういった「二足の草鞋(わらじ)」の生活が5年くらい続いたのですが、2015年に思い切って会社を辞めて起業しました。
NPO業界にいらっしゃる方はご存知かもしれませんが、「株式会社PubliCo」という非営利セクター専門のコンサルティング会社を、仲間と立ち上げました。
NPO支援を本業にして、抱いた葛藤。マーケティングだけでは、課題は解決しない
ーとうとう会社を辞められたんですね。大企業にお勤めで、独立。しかもNPO向けのお仕事となると、年収も気になったと思いますが・・
ええ、私もそこには不安を感じていたのですが、結果として“二足の草鞋”の期間が市場調査の役割を果たしたんです。
はじめはボランティアで相談に応えていたのですが、お仕事として依頼してもらえる案件も増えました。
研修の講師をすると、謝金もいただける。
それらが積み重なって、最後の年には会社員時代の年収の30%近くになっていました。
NPO支援の仕事も、「間違いなく市場はあるんだ」と身をもって確信できました。
「今は副業だけど、平日の朝から晩までの本業にしたら、食べていけるんじゃないか?」
そんな見込みを立てられたのも、起業に踏み切る背中を押してくれました。
ーずっと思い描かれていた、「マーケティングをNPOで活かす」は実現できましたか?
はい、企業で培ってきたマーケティングは、こちらの世界でも十分に効果的でした。
NPOでも大事なのは、活動に必要な資金を得ること。
先ほども触れた「ファンドレイジング」ですが、活動を知らなかった人に情報を届け、共感してもらい、支援に踏み切ってもらう。
これらは、まさしくマーケティングなんですね。
しっかりと取り組めていなかった団体も少なくないから、正しいやり方をお伝えすれば結果も出やすい。
コンサルティング先の団体さんが、「寄付収入が前年比2倍に増加」「事業規模が年間2億円超え」といった事例も1-2年間で出てきて、手応えもつかんでいました。
ファンドレイジングは数字、そしてお金というわかりやすい成果が出る。
困っている団体さんも多いので案件も獲得しやすく、コンサルファームの経営、いわゆる「ライスワーク」という面でも有効なサービスでした。
でも、「コンサルティング」や「マーケティング」だけでは必ずしもうまくいかない、とも分かってきたんですよ。
ーえっ、順風満帆に聞こえましたが、何があったんですか?
団体さんによっては、こちらが「正しいやり方」をお伝えしても、成果が出ないケースもあったんですね。
例えば、「資金調達の戦略を策定する」という案件で、膝を突き合わせ議論しながら、計画まで落とし込めたことがありました。
その団体さんと、フォローアップの打合せを半年後にしたら、「実行できていませんでした…」との答えにびっくりしました。
「コンサルの限界」は企業でも語られますが、NPOだとそれ以上に実行支援が大事なんですね。
企業だと、たとえ気が進まない業務であっても、会社の方針として決まれば、仕事として割り切って実行するのが当たり前ですし、昇進や昇給といった“餌”もある。
ところが、NPOではそういった金銭的なインセンティブも機能しにくいですし、「やりがい」や「自分らしさ」を求めて働く人も多いので、気持ちが動かない仕事は後回しにされがちに。
知識やノウハウだけを与えても、「仏像作って魂入れず」になってしまうんです。
だから、「人の自律性を引き出す」や「組織のあり方を見直す」といった側面からサポートしなければいけない、と気づいたのが1つ目でした。
ー2つ目は?
クライアントの個別支援を続けることで、「自分たちのビジョンにどこまで近づけるのか?」と考えてしまったのです。
先ほどもお話ししたように、「寄付収入のアップ」などそれぞれの団体さんで目に見える成果は上がりました。
でも、そういった“成功事例”が“社会的インパクト”に変換されるまでには、やらなければいけないことがたくさんあるなと。
私たちが設立当初に掲げていたビジョンの1つが、「エコシステムの多地域展開の支援」でした。
「さまざまな団体や人が連携しながら、社会的な価値を生む生態系を作っていこう」という考え方のもと、いわゆる“コレクティブインパクト”を目指したものです。
成功事例が1つの団体だけではなく、業界全体に波及すること。
そこで生み出されたノウハウやネットワーク、お金が、インパクトを生むべく最大限有効に活用される。
個々の団体をクライアントとしたコンサルファームでは、その実現に向け動くには限界がある。
そんな行き詰まりを抱いていた時、私の故郷である山口県の中間支援組織や、鳥取県の地域創生プロジェクトといった、個別団体の経営やファンドレイジングだけではなく、「地域全体をより良くしていこう」という案件に携わらせてもらう機会が続き、小さいけれど手応えも抱いていました。
「社員それぞれも自分がやりたいことのビジョンを明確に持っている。この会社を続けていくことの意味はなんだろう」
そう観念して当時5人の社員と話し合い、会社は円満に解散することに。
私自身も1人のフリーランスとして、再スタート。
モジョコンサルティング合同会社の代表として、活動しています。
ー地域の支援とは、どういったお仕事なのでしょう?
それが、ひと言では説明できないのですが、ある案件で担わせてもらったのは「行政と住民をつなぐ」役割でした。
県庁や市役所といった行政は、もちろん地域を良くしよう、住民のためになろうと頑張って働いている。
でも、必ずしも住民に理解されなかったり、地域の実情に沿えていない場合もある。
そこで、行政と地域住民の間をとりもち、コーディネートしていくのが私の役割だったのです。
その一環として、自治会や町内会を訪ね、地域のおじいさんおばあさんたちと畳のうえで話を聞かせてもらったことも。
そういった声が行政に届くように翻訳して口添えして、今度は県庁の人たちと対話しながら、住民に関わってもらう方法を一緒に考える。
今までは、曲がりなりにもビジネスの言葉が通じる相手でしたが、地域のおじいさんやおばあさんだとさすがにそうはいきません(苦笑)。
また、お役所の人たちは、企業ともNPOとも思考や行動原理がずいぶん違いました。
馴染みがなかった世界に飛び込んで約5年、もがきながらようやく慣れてきたところです。
“越境”をくり返し、学び続ける。「先が見えない」のも楽しい
ー今はどんなお仕事をされているんですか?
はい、ファンドレイジングなどのマーケティングに携わる機会に加え、「組織開発」「リーダーシップと人材育成」「事業計画策定と戦略実行への長期伴走」といった分野が多くなっています。
クライアントも、NPOやNGOなど個別団体に加え、先ほどお話ししたように県や市などの地方自治体、福祉法人、あるいは「中間支援団体」と呼ばれる様々な地域活動のコーディネートを務める団体が増えました。
変わったところでは、NPOの代表や事務局長などをはじめ、個人に対するコーチングもしています。
最近は、企業から問い合わせをいただくケースも増えているんですよ。
ーコーチングまで、幅広いですね?元からされてらっしゃったんですか?
「コーチング」や「ファシリテーション」といったスキルは、実は非営利セクターに移ってから身につけたんです。
地域の現場に行くと、マーケティングはじめ「ビジネスの知識だけでは役立たない」ことを思い知らされたんですね。
5年ほど前からファシリテーションの本を読んだり、「システムコーチング」(=組織など2人以上の関係性を対象としたコーチング)や「個人向けコーチング」の資格を取得したりしました。
50歳を過ぎてから新しいことを学ぶのも、楽しいものですよ(笑)。
ー先ほどお話のあった「企業から」とは、どんなお仕事ですか?
詳しくはお答えできないのですが、非営利セクターで培ってきたノウハウが、ビジネスでも有効になっているのを肌で感じています。
例えば「パーパス経営」を取り入れる企業が最近増えていますが、理念やミッション・ビジョンといった“目的”にもとづく経営を、当たり前のように実践してきたのが非営利組織です。
スタッフや顧客、あるいは受益者、寄付者やボランティア、行政や地域社会など、幅広いステークホルダーと対話しながら、共感をベースにコミットを引き出してきた方法論は、企業にとっても関心が高いようです。
他にも、「シェアリング・エコノミー」では顧客自身も担い手となって、サービスを提供。
あるいは、「ファン・マーケティング」では顧客が単に商品を買うだけではなく、共感して発信する。
といった新しい潮流がビジネスの世界でも注目されていますが、「寄付者が、もっと貢献したいとボランティアもする」「共感した支援者が、頼まれもしないのにSNSで発信する」といったように、NPOの世界では自発的な参加や立場をまたいだ貢献が自然に発生しています。
これまでは、私もそうでしたが「企業の進んだノウハウを、非営利に取り入れる」が主流でした。
これからはそれだけじゃない、「NPOで培われたナレッジが、企業に還流する」もどんどん起こっていくだろうと予測しています。
ー今後は、どのようなキャリアを描かれていますか?
これは、企業から転職した頃とは大きく変わりましたね。
デジタルマーケティングには30代の頃、2000年代と早くから企業でバリバリと取り組んでいたのですが、50歳を超えると最先端のテクノロジーについていくのは難しくなってきます…
そして、年齢が上がると求められるものも変わっていくんですね。
専門的なスキルというよりは、誰かと誰かをつないだり、人の話を聞いたり、数値化しにくい曖昧な領域の相談に乗るようになったり。
そういった、ある種「年の功」を活かしていきたいなと。
「私の強みはなんだろう?」と50代に改めて考えた時、「両利き」という言葉が浮かびました。
大企業と、NPOや行政と異なる世界を横断してきた。
海外に留学していた経験もあるし、地方出身で今は都会に暮らしている。
異なる世界へ“越境”していくたびに、新しい価値観に触れて、自分自身の凝り固まった立場や主義主張に気づき、そして解きほぐし相対化してきました。
そういった体験を経て培ってきた、自分の内なる“多様性”を活かしていきたい。
ある種「若返り続ける長老」とでもいうんですかね(笑)、そういった立場にだんだんとシフトしたい。
今はそう考えています。
ー最後に、読者の方にひと言をお願いします。
「ライフシフト」という本に影響を受けたのですが、“人生100年時代”が訪れるとしたら、私もまだ折り返し地点。
これから長いキャリアで、新しいスキルを身につける必要があるし、変わっていく必要も出てくるでしょう。
ひと昔前の大企業の50代でありがちだった、「上がり」のポジションではいられません。
でも、そういった「先が読めない」感覚も楽しいのです。
20代の頃から振り返ると、留学や大企業勤めなど「回り道」を随分しましたが、無駄なことはなかったなと改めて思います。
今は企業もNPOも副業・多業が当たり前で、並行していろいろなチャレンジができる良い時代ですね。
興味を持った分野に、そのときどき全力で打ち込むことで、その先が見えてくる。
この心構えは、いつになっても大事にしたいものです。