教育NPOから社会的企業へ。デジタルマーケやITシステムで、急成長を支えた

2022
9
26
和氣 英一郎
株式会社キャンサースキャン
和氣 英一郎

IT企業から教育NPOにジョイン、7年間働いてから医療分野のソーシャルベンチャーに転職した和氣(わけ)英一郎さん。NPOではマーケティングやシステムなどを主導して、継続的な寄付者が「5年間で約7倍」となる急成長を牽引しました。“社会貢献”を軸としたキャリアの選び方や仕事のやりがい・苦労のほか、「非営利セクターでの職務経験は、転職マーケットでどのように評価されたか?」や、「現在働く社会的企業とNPOの共通点と違いは?」などお伺いしました。

toc-icon
目次

念願叶ってNPOに転職するも、苦しかった3年間

―和氣(わけ)さんがNPOに転職した経緯から、お聞かせください。

新卒では、ワークスアプリケーションズというIT企業で、ERPパッケージシステムの導入コンサルティングの仕事をしていました。
8年間働いた後2014年に、中高生をはじめ10代の子どもに教育を届ける、認定NPO法人カタリバに移りました。

転職のきっかけは、その10年近く前の学生時代にインターンをしていたつながりからでした。
当時のカタリバはNPO法人になったばかりで、事業モデルも確立されていませんでした。
そんななか創業者の二人が、「高校生の心に火を灯したい」と必死に働いている。

新卒では普通に企業に就職しましたが、「いつか自分も力になりたい」という想いがありました。
カタリバには寄付を続けたり、時折ボランティアとして関わったりしながら、31歳で転職に踏み切りました。

―転職にあたってご心配はなかったですか?

はい、給料が下がるのは心配でしたし、「1回転職したら、普通の企業に戻れないのでは?」という不安もありました。
転職活動をして、実はコンサルティングファームからも内定をもらっていました。

迷いもあったのですが、「やりたいことをやらない方が、間違っている」と、妻も背中を押してくれました。
そんな経緯を経て転職したのですが、しばらくはうまくいかず、慣れるのも大変でした‥

―入職後に何があったのですか?

カタリバではじめに配属されたのは、「マイプロジェクト」といって、高校生の“探究型学習”をサポートする部門でした。
高校生のほか大学生のボランティアスタッフや、地域のご年配の方のように、ビジネスの言葉が通じない人たちともやりとりします。

そういった方々とのやりとりで、話が通じなかったり、相手を戸惑わせてしまったり‥
というのも、コミュニケーションの仕方一つとっても、企業とNPOでは違ったんです。

IT企業で大事にされたのは、ロジカルで端的な受け答え。
自分の感情や余計な情報は乗せず、淡々と案件を進めていくのが良しとされました。

でも当時の役割としては、多様な立場の方々の気持ちや事情を汲み取ったり、膝を突き合わせながら信頼関係を育んだりといった要素も大事だったものでして。
NPO業界の長い先輩には、相手の感情面をケアするメールの書き方から、地域の方々と仲良くなる「飲み会の作法」まで、一から教えてもらいました。

それらは慣れていったのですが、ほかにも「周りと自分は違うな」と感じることがあって‥

―どのような違いでしょう?

生徒さんたちと接していると、彼らが成長していく瞬間を目の当たりにします。
支援現場で働くスタッフは、「目の前の一人ひとりの変化」に気づき、それを認めてあげるのが仕事ですし、そこに無上のやりがいを覚える人も少なくありません。

私もそれ自体は嬉しかったのですが、「職業人生をかけてまで打ち込みたいか?」というと、そこまでの気持ちの高まりは感じられなかった。
それよりは、「このプロジェクトには、どのような意義があるのか?」や「社会にどんなインパクトを出しているのか?」といった“So What?”が気にかかってしまっていました。

マイプロジェクトアワードの様子(認定NPO法人カタリバ提供)

でも、インパクトを数字やロジックで可視化するのは、特に教育という分野では簡単ではありません。
さらに当時は立ち上げフェーズでもあったので、現場での定性的な反応を見ながら、「朝令暮改」というか方針をスピーディに変えていくことも日常茶飯事でした。

―それは大変でしたね。ベンチャー気質の強いNPOではよく聞きますし、現場では大事なことだと思いますが。

はい、やっていること自体には意義を強く感じていましたし、信頼する仲間や尊敬する経営陣の向かう方向を信じていました。
でも、自分のなかでしっくりこないというか、「貢献できてないんじゃないか?」という感覚がずっと消えませんでした。

大学の同級生をはじめ、大企業や外資系など華々しいキャリアを歩んでいる友人の活躍も、SNS等で目に入ってきます。
私自身も、年収を下げてNPOに飛び込んでいきました。

「それなのに‥」という焦りや、行き先の見えないもどかしさ 。
「前職を辞めなかった方が良かったのでは?」といった後悔も加わり、「カタリバを辞めよう」と真剣に悩んでいました。

「サポーター会員10,000人」を目指し、ゼロから再出発

―それでも7年間続けられました。何か転機があったのでしょうか?

きっかけは、部署の異動でした。
「わけちゃん(※筆者注:和氣さんのあだ名)には、こっちの仕事の方が合ってるんじゃないか?」
と上層部の方々が考えてくれ、教育現場の事業部門ではなく、「ファンドレイジング」といって資金を集める本部機能に。

そのなかで、デジタルマーケティングを担当させてもらいました。
全くの初心者だったので、当時は「CVR」や「CPA」といった用語も全くわからず‥
30代半ばで、ゼロからのスタートでした。

でも面白かったのは、結果が数字でわかること。
明確な判断基準があって、ダメならダメで改善点を見つけてPDCAを回していける。

そして世の中に共通する原理があって、検索して記事を調べたり本を読んだりすれば、その分野の知識がだんだんと身についていく。
一歩ずつ成長していける手応えがありました。

―「教育」から直接は遠ざかったようにも見えますが、やりがいはいかがでしたか?

たしかに生徒さんと直接接して授業を届ける「事業部門」ではないので、「手触り感がなくやりがいを覚えにくい」と思う人もいるかもしれません。
でも、私の場合は「自分が目標を達成すれば、インパクトを出せる」という感覚をずっと抱いていました。

当時私が担当していたのは、毎月1,000円からの継続的な寄付で応援いただく「サポーター会員」を増やすことでした。
当時(2017年)のサポーター会員は約3,500人でしたが、「1万人」という高い目標を掲げることが決まりました。

1万人を達成すれば、安定的な財源を確保できて、事業を行いやすくなるし、信頼する仲間たちの資金面の苦労をラクにさせてあげられる。
カタリバはきっと強くなるし、子どもたちのためになる。
そう信じられたから、迷いなく目標に向かって進んでいけました。

―異動が、モチベーションにもプラスに働いたのですね。

はい。ただ、最初は「五里霧中」といってよい状態でした。

カタリバは、2011年に始めた東日本大震災の復興支援活動を評価いただき、寄付先として選んでもらえる機会も増えましたが、時間とともに東北への関心は薄れていきます。
私が異動した2017年当時は、社会的にも「子どもの貧困」への関心が高まり、また団体としても困難を抱えた子どもたちの学習支援を、被災地以外でも広めていこうという時期でもありました。

そういった背景もあって、新しいメッセージを作って寄付を訴求していったのですが、はじめは驚くほど反応がありませんでした。
練りに練って広告を出しても、1人も寄付していただけない、ということさえありました。

でも、結果を数字で検証して、ダメだったらダメで別のやり方にトライしていく。
コンサルでサポートしてくれていた人とも一緒に、毎回仮説を立て、データを見ながらヒントを探していく。
トライ&エラーのしんどい時期が続きましたが、5ヶ月かかってようやく“勝ちパターン”が見えてきました。

それからは1日に10人、20人といったペースで、ご支援を始めてくださる方が増えていって‥
「カタリバの成長に貢献できている」という手応えを、ようやく得られるようになりました。

―目標の達成に向けては、いかがでしたか?

目標を立てて、その達成のための打ち手を因数分解する。
成果を数字で検証して、ロジカルに議論する。

といったファンドレイジングの仕事は、企業での仕事のやり方とも親和性が高く、それまでの経験を活かせました。

たくさんの方々のご支援のおかげで、「サポーター会員1万人」も2019年に達成できました。

「ファンドレイジング日本2019で講演した資料より


個人的にもWEBマーケのチームのマネージャーにも昇進して、充実感も抱いていました。

ところが良いことばかりではなく、他の部門で問題が起こっていったんです。
マーケティングの成長による寄付者数の増加のスピードが急すぎて、周りに負担をかけてしまったんですね。

「成長痛」による課題を、ひたすら潰していく

―たとえばどんな問題でしょうか?

寄付のお申し込みがそれまでは1日数件程度だったのが、ピーク時は500件を超えたこともあったので、

  • 寄付を始めてくださった方に十分なフォローができず、すぐやめてしまう方やお叱りをいただくことも
  • データの登録やお礼の連絡が追いつかず、一部のスタッフに負担が集中する
  • 決済の正確性の担保やツール間の連携など運用の難易度が上がる

といった現象が起こってしまったんです。
「成長痛」というのでしょうか、企業で言うカスタマーサポート(CS)やシステムといった分野で問題が頻発しました。

―どのように対応されたのでしょうか?

デジタルマーケのチームは軌道に乗っていたので、他のメンバーに引き継いで、私はCSやシステムを担当するチームのリーダーになりました。

まず、「寄付の受付」や「継続決済の処理」といった業務フローを見直しました。
そのうえで、Salesforceを基盤に構築していた寄付システムを、リニューアルしました。

途中からコロナ禍が始まって、リモートワークに移行。
そんななかでも教育を止めないため、新規事業を始めたり緊急支援の寄付募集を始めたりと子どもたちのため機動的に動いていましたが、その分混乱も増しました。

寄付者の方々にご不便をおかけしたり、サイバー攻撃の対応に苦慮したり…
いわゆる「Hard Things」も、いくつか思い出されます。
2年くらいかかってしまいましたが、なんとか安定軌道に乗せることができました。

―システムの仕事ということで、転職前のIT企業の経験が活きたのではないですか?

はい、仕事内容自体は、システム導入のコンサルをしていた経験が活きました。

ただ、ずっと続いてきた業務のやり方を変えるのは、口で提案するのは簡単ですが、実行となるとさまざまな障害がありますよね。
その時の状況に合わなくなったように見えた業務フローにも、私より経験の長いスタッフが積み上げた、知恵や想いが詰まっていたこともありました。

人の気持ちを受け止めること、周りから信頼を得ていくこと、合意を形成しながら1つずつ変革していくことの大変さが、身に染みました。

東京マラソン大会では寄付を呼びかけるチャリティランナーとして、ご自身もフルマラソンを完走

―意識されていたことはありますか?

ありきたりですが、一人ひとりの話をとにかく聴くこと、でしょうか。
そのうえで「限られた人員で寄付者さんの期待に応えていくためこう変えたい」といった想いや、「カタリバのため、その先の子どもたちのためにベストを尽くしたい」といった大義を継続的に伝えていきました。

デジタルマーケで市場と向き合っていた時は、数字や合理性で判断できる度合いも高かったのですが、それだけではうまくいきません。

人は、ロジックだけでは動かない。
その人のなかで「自分ごと」になって、初めて動き出してもらえます。

もしかしたら、最初に配属された事業部門でつまずいた経験が糧になったのかもしれません。
もがいていたなかで、かつて先輩に教えてもらったことを思い出す機会もありました。

転職マーケットでも、NPOでの職務経験は評価された

―カタリバで7年間務めた後に、転職をされましたね。今はどんな会社に?

株式会社キャンサースキャンといって、予防医療の分野で「ソーシャルマーケティング」に取り組む会社に、2021年冬に転職しました。たとえば、

  • 健康診断の受診率を高め、病気の早期発見を促す
  • 健診で異常が見つかった方の医療機関での受診率を上げ、重症化を予防する

といった事業をしています。
「特定健診のお知らせ」といった封筒が、自治体から郵送で届くのを見たことがある方は多いと思います。
そのメッセージを画一的に一斉に送付するのではなく、ターゲットの特性に応じて送り分けると、健康診断の受診率が高まることもわかってきているんです。

―それは面白いですね。「医療」には前からご関心をお持ちだったんですか?

いえ、実は「医療」という業界にはこれまで馴染みがなかったし、転職先として考えたこともありませんでした。

実ははじめは、「SaaS」や「WEBマーケ」といった分野で、テクノロジー企業を中心に受けていました。
システム開発やデジタルマーケの経験を、価値と捉えてもらいやすいかなと。
ビズリーチなど求人サイトに登録したり、転職エージェントの面談を受けたりといったところから始めました。

ただ、面接官やエージェントと会って初めてわかったのは、具体的なスキルやスペックより、「カタチにならない経験」を評価してもらえたことでした。
だから、“業界”や“職種”でキャリアを縛らなくてもよいんだなと、途中で気づいたんです。

―というと?具体的にお聞かせください。

カタリバでは、入口(デジタルマーケ)から出口(CRM)まで、成長する組織でさまざまな機能に携わらせてもらいました。他にも、

  • ゼロから立ち上げ、組織をつくり、結果につなげられたこと
  • 採用の面接までしていたので、採用する側の気持ちや求めているものがわかったこと

途中からは事務局長の下でファンドレイジング部門全体の責任を担っていたので、そういったマネジメント経験も貴重と捉えてもらえたのかもしれません。
おかげさまで、3社ほどから内定をいただきました。

非営利セクターだからといって、色眼鏡をかけて見られ、市場価値を低く見られることはないんだ。
そう勇気づけられました。

退職時にもらった送別のメッセージとともに

―そんな転職活動を経て、現在の会社に決められた理由は?

前回の転職でもお世話になった、信頼するキャリアアドバイザーの方から「良い会社だから、ぜひ受けてみては?」と薦めてもらい、面接を受けたのがきっかけでした。
そこで知ったのが、社会貢献とビジネスの両立を本気で目指している会社だということ。

転職にあたっては、前職での役割も一区切りが見え、ビジネスセクターに戻って「新しいチャレンジをしたい」「違うフィールドで成長したい」という気持ちが生まれていました。
ライフステージの変化も見据え、「もっと給与を上げていきたい」という思いもありました。

そんななか、NPOと企業ではキャリアは“別モノ”と捉えてしまっていました。
「社会貢献」や「ソーシャル」といった軸は、「はずして考えないといけない」と、思い込んでいたんです。
でも、NPO以外でも「社会のために」仕事ができるんだと、俄然興味が湧きました。

―でも企業だと、利益を追求せざるを得ないこともあるんじゃないですか?

はい、もちろん利益は大切ですし、疎かにしているわけではありません。

ただ、初めて面接をしてもらった時に役員から「Social and Profit」という価値観を説明してもらったのですが、それがすごく良くて。
「我々は、社会に良いことを目指して事業を進めています。だからといって、儲からなくて良いというわけではない。社会性と収益性の二兎を追っていくんです」と。

仮にSocialとProfitのどちらが大事か?と問われたら、51:49で社会性を優先する。
利益は大事だけど、社会に良いと信じられないことをしてまで、利益をつくりにはいかない。

今の会社は、たとえば「健康診断の受診率を上げる」という成果を、自治体などクライアントに提供することで報酬をいただいています。
そういった事業によって、日本人の健康、さらに医療費の適正化に貢献しようとしています。
「私が働きたいのは、こういった考え方の会社なんだ」とピンときました。

課題は山ほどある。だから楽しい

―現在はどんなお仕事を担当されているのでしょう?

「カスタマーサクセス」の機能の立ち上げをさせてもらっています。

先ほど簡単にお話ししたとおり、今の会社は市町村など自治体が主なクライアントです。
仕事の依頼を継続的にいただく、リピート率を高めていくためには、まずはクライアントが自社のサービスに満足してくださっているのか?を把握することが大切です。

アンケートなどの結果を、営業担当者にフィードバックしながら、サービスを改善していく。
BtoBビジネスの会社で「営業企画」が担っている役割と近いかもしれません。

―これまでとは全く異なるお仕事ではないですか?

はい、前職での私の役割はBtoCがメインでしたし、デジタルマーケティングともシステムとも分野は異なります。
ただ、今の仕事でやっていることと近い部分もあるなと考えるようになって。

カスタマーサクセスは、営業を「フロント」とすると、バックオフィスとの中間の「ミドル」に当たります。

チームメンバーとのオンライン会議。リモートワークも多い

お客様の声を拾い、外部からの情報をフィードバックしながら、内部でオペレーションが安定的に回る仕組みをつくっていく。
ロジックと感情の両面から、実行可能な着地点を探っていく。
前職で経験したこととも既視感というか、「いつか見た景色」と感じることがあります。

思い返せば、新卒で勤めたITベンダーでも、お客様への導入支援をしながら、開発と営業の間に入って落としどころを探るのが役割でした。
「つなぐ」「調整する」といったポジションが、肌に合っているのかもしれません。

―「社会的企業」に入られて、NPOとの違いや共通点は?

もしかしたら、目的やゴールの置き方が変わったかもしれません。
NPOで事業計画を立てるときには、

  • 社会にとって意義のあることをしたい、が第一
  • そのために必要な資金をどう調達するか?を次に考える

という順番です。
今の会社では、社会性と収益性がバランスする解を探っていく、という考え方です。

でも普段働いているときの個人レベルの実感では、社会的企業もNPOも大きな違いはありません。
逆に共通点だと、たとえば「いい人が集まっている」ことです。

現職には「困っている人を助ける文化」があって、びっくりしたのがある部署で突発的に仕事が増えたとき、Slackでヘルプを募集したら「私も手伝う」といった人たちがすぐ集まったんですね。
見返りを求めているわけではなさそうで、「助けるのが当たり前」という空気です。

前職でも現職でも、理念やミッションに共感した人が集まるためか、優しく利他的な人が多いんです。

―どんなところに、やりがいを?

現職でも前職でも一番のやりがいは、「自分の仕事が社会を良くすることにつながっている」という実感があることです。
その時に意識を向ける対象が、「子どもたちの教育」から今は「日本人の健康」になりました。

私の場合は、創業者が掲げるビジョンや理念に心から共感した時、「その未来を実現したい」という想いが自分のなかに生まれます。
日々の地道な仕事も、その想いをエネルギーにこなしていける。

仕事なので、厳しい局面もありました。
その時に、「何のために」を思い出すと、もうひと踏ん張りができます。

―今後のキャリアのビジョンを教えてください。

私の場合は、システムベンダーから教育NPO、医療ベンチャーと勤め先の業界もバラバラですし、「この分野を極めたい!」という明確な目標がある訳では、正直いってありません。
「目の前の仕事を、一生懸命やっていこう」という、ありきたりな考えに落ち着いてしまいます。

ただ、2回の転職を経て軸が見えてきたこともあって、「組織の力を最大化する」ことに喜びを覚えるんだなと。
「起業」や「独立」、あるいは「副業」など、個人の力で多様なキャリアを切り開く人も周りに増えています。
それ自体は素晴らしいことですが、私の場合は違うポイントにやりがいを覚えるようです。

組織の困りごとを拾っていくこと、時には板挟みになったり矛盾することに悩みながらも、「こう変えたらもっと良いのでは?」と思いを巡らせること。
なんとか課題を解決するプロセスを繰り返しながら、組織も自分もだんだんと成長していくことに、苦しいながらも喜びを覚えます。

一人でできることには限界があると痛感してきたから、みんなと仕組みをつくっていきたい。
組織を大きく動かすために、その先にある社会を良くするために、新しい会社でも自分の責任範囲をもっと広げていきたいです。

事業が成長フェーズにあるためか、入社して時間が経つにつれ、課題がたくさん見えるようになりました。
でも、これらの課題を解決できれば、「世の中のため」がもっとドライブされる。
この組織が強くなれば、日本人の健康に貢献できる。
そう考えると、目の前の仕事が楽しみになってきます。

経歴
  • 2006年 早稲田大学教育学部卒業
  • 2007年〜2014年 株式会社ワークスアプリケーションズ
  • 2014年~2021年 認定NPO法人カタリバ
  • 2021年~現在 株式会社キャンサースキャン

LINEで更新情報をお届け

ファンドレイジングの事例やノウハウ、非営利セクターでのキャリアについてなど、月1回程度配信しています。 よろしければご登録ください。
LINEで友だち登録する
LINEで友だち登録する
お問い合わせ